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2025/03/02
渋谷のディスペンサリーオーナーの自殺と日本の司法制度

はじめに
2025年2月18日、渋谷のディスペンサリーショップの店長であるGRAYさんが投身自殺した。私は2023年と2024年に彼と簡単な挨拶を交わした程度の関係だったが、今回の事件を知るにつれ、日本の人質司法の問題について深く考えさせられた。
GRAYさんの死には、警察の対応が原因となった「業務過失致死」の可能性が残される。彼がどのような経緯で逮捕され、また不起訴となったにもかかわらず自ら命を絶った理由を考えると、この問題は風化させたくないという強い思いを抱く。同氏のご冥福を祈るとともに、本記事を公開する。
GRAY氏の逮捕とその後
GRAYとは
GRAYは、渋谷に店舗を構える大麻由来製品やサイケデリック製品を扱うディスペンサリー店の名称であり、そのオーナーも通称「GRAY」と呼ばれていた。彼は彫り師としても活動しており、多方面にわたり活動をしていた。
しかし、2024年12月16日、麻薬取締法違反(営利目的譲渡)の疑いで逮捕され、長期にわたる勾留を強いられた。勾留は3度にわたって延長され、最終的に2025年2月17日に違法性なしとして不起訴となり、ようやく釈放された。
だが、釈放の翌日である2月18日、彼はJR総武線津田沼駅で投身自殺を図った。
日本の人質司法とは?
日本の刑事事件の流れ
一般の人にはなじみがないかもしれないが、日本の刑事事件の流れを理解すると、人質司法の問題点がより明確になる。警察が被疑者を逮捕すると、最大48時間以内に検察へ送致される。その後、検察が必要と判断すれば、さらに10日間の勾留を請求し、さらに最大23日間まで延長することが可能になっている。
この間に、検察は起訴するか、不起訴にするかを決定する。
最大の問題は、起訴前の勾留期間が異常に長いことにある。欧米では逮捕後の身柄拘束は通常48〜72時間以内に決定されるのに対し、日本では最大23日間も勾留される。この間、被疑者は自由を奪われ、精神的な圧迫を受ける。
自白偏重主義と令状主義の形骸化
日本の刑事司法システムにおける自白偏重主義は、長期勾留と密接に関係している。捜査機関は、被疑者から自白を得るために長期間の拘束を行い、被疑者は精神的に追い詰められた末に、自白や署名を強要される状況に置かれてしまう。この構造を踏まえると、GRAYさんのケースでも、長期勾留による精神的ダメージが、最終的に取り返しのつかない結果を招いた可能性が高いと言える。
このような一度逮捕されると、長期間にわたり自由を奪われることが既定路線となっている日本の運用は、本来の司法制度の趣旨から逸脱していると言わざるを得ない。
勾留制度の構造的欠陥
今回のケースで最も深刻だったのは、長期勾留による精神的ダメージだったと考えられる。本来、勾留は証拠隠滅や逃亡を防ぐための手段であるはずが、日本では実質的に「制裁」として機能してしまっている。
特に問題視されるのは、不起訴後のメンタルケアの不在だ。長期間の拘束によって精神的に追い詰められた被疑者は、釈放後も適切な支援を受けることなく、精神的なダメージを抱えたまま社会に戻される。この結果、社会復帰への意欲を失い、孤立してしまうケースが考えられる。
また、社会復帰支援の欠如も大きな問題だ。長期勾留によって仕事や人間関係を失った被疑者は、釈放後に再び生活を立て直すのが極めて難しくなる。日本の刑事司法制度には、勾留後の社会復帰をサポートする仕組みがほとんどなく、多くの人が行き場を失ってしまう。
長期の勾留を経て釈放された被疑者は、再逮捕への恐怖や社会復帰の困難さから精神的に追い込まれる可能性が高いと言える。
大麻由来製品と法的不確実性
当店やGRAYさんが運営していたディスペンサリーは、まさに法的なグレーゾーンに位置していた。法律が十分に整備されていない分野では、捜査機関による恣意的な解釈が行われるリスクが常に日本には存在する。
特に問題となるのは、適法性判断の遅延である。法律の解釈が明確でないため、企業や個人がビジネスを進める上で、適法か違法かの判断が遅れることが多い。結果として、事業の継続性が不透明となり、不安定な状況が続く。
また、イノベーションリスクの過度な刑事化も問題視されている。同氏の店舗運営方法については確かに行き過ぎたがあった可能性もあるが、不起訴となっている以上は、立法行政の責任を個人に転嫁したと言わざるえない。
日本では、新しい技術やビジネスモデルが法的に整備される前に刑事事件化されることが多く、企業や個人が不当な刑事責任を問われるケースが発生している。これは過去のWinny事件のような例にも見られ、出る杭は打つといった誤った捜査機関の文化の弊害といえる。
業務過失致死罪と損害賠償の成立要件
GRAYさんの死について、警察の業務過失致死罪および損害賠償責任が成立する可能性を検討する必要もある。特に問題となるのは、警察官がどこまで安全配慮義務を負っていたか、自殺の予見可能性があったか、そしてその結果回避の可能性があったかという点だろう。
長期勾留と自殺リスクの関連性は、多くの研究で指摘されており、警察はその影響を認識し、適切なケアを提供する責任があるはずだ。もし警察がその義務を怠っていたとすれば、業務過失致死罪の成立が問われるだけでなく、遺族に対する損害賠償責任も生じる可能性がある。
損害賠償の成立には、警察の過失が死亡の直接的な原因となったことを立証する必要があるが、警察の対応が適切であれば自殺を防げた可能性があるかどうかも争点となる。もし仮に警察が自殺のリスクを把握していたにもかかわらず、必要な措置を講じなかった場合、過失が認められ、損害賠償責任が発生することになるだろう。
西洋刑法の継受と日本の古典的「罰」の概念
古典的「罰」の概念
古代日本で行われていた神明裁判では、被告に神への潔白を誓わせた後、探湯瓮(くかへ)と呼ばれる釜で沸かした熱湯に手を入れさせた。正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされていた。 その後、700年に唐の律令法を基に刑罰の種類や適用範囲が体系化されていったが「律」に「死刑」があるように、江戸時代以前の日本において、「罰」は宗教的な観点から「制裁」を加え、穢れを祓う(贖罪する)ものとする思想が根付く残っていたように思う。
近代的「罰」の概念
しかし、近代刑法においては、罰は単なる制裁ではなく、個人の更生を促す手段として位置づけられている。罪を犯した者が再び社会で生きていけるようにするための仕組みこそが刑罰であり、この考え方は明治以降、西洋刑法の影響を受けながら発展してきた。
しかしながら、この理念が現在の社会に十分に浸透しているとは言い難い。司法や警察は依然として旧来の制裁的な姿勢を崩さず、必要な改革を怠っている。その結果、多くの刑罰制度が非人道的な形で機能し続けているのが現状である。
本来であれば、次のような取り組みが求められる。
まず、「制裁から更生へ」というパラダイムシフトを徹底し、犯罪者を社会へ適応させることを主眼とした刑罰のあり方を再構築する必要がある。刑務所は懲罰の場ではなく、社会復帰のためのリハビリテーション施設としての役割を強化すべきである。
また、身体拘束に代わる代替措置の導入も重要だ。社会奉仕活動や電子監視制度を活用し、自由を完全に奪うことなく更生を促す手段を積極的に導入すれば、無意味な長期収監による弊害を減らせるだろう。
さらに、精神医療との連携強化も不可欠である。多くの犯罪者は精神的な問題を抱えており、それを無視したまま刑罰を課しても根本的な解決にはならない。適切な医療介入を組み合わせることで、再犯の抑止にもつながるはずである。
刑罰とは、単なる報復ではなく、社会の健全性を守るための手段である。その本来の目的を見失わず、人道的かつ合理的な法制度の確立が求められている。
結論|被疑者の人権保護
このように、人質司法の問題は、公権力を有しないすべての市民にとって深刻な脅威となり得え、もし被疑者として扱われた場合、命を奪われる危険性すら否定できない。この問題は、日本の刑事司法に関わる人々だけでなく、すべての国民が改めて考えるべき重要な課題と言える。